あなたは「私は私である」と言えるだろうか。
絶対の自分ってどんな自分だろう。
著者:眉月じゅん
この作品の彼女は過去の記憶がありません。気が付いたら九龍という場所で暮らしている。働いている。恋をしている。
物語が進んでいくと、過去のない自分に自信が持てなくなります。
とあるきっかけで、彼女はこう言うのです。
「絶対の私になる。」って決めたの!
眉月じゅん (2021). 『九龍ジェネリックロマンス 4』 集英社 (28話より)
絶対の自分になる。ということはどんな自分なんだろう。どんな感覚なんだろう。
彼女が言うに、絶対というのは”自分を信じて突き進むこと”、「私が私である」と言える自分になること。
彼女は、気が付いたら九龍で生活をしていた。「過去」がないから不安定になった。(もちろんそれ以外もあるんですけど)
過去があるわたしたちは、どうだろう。
絶対の自分はいるんだろうか。
何を根拠にして、”自分を信じて突き進み”、「私が私である」と言えるんだろうか。
”私” を表すような単語は実に多くて、
”名前” ”年齢” ”性格” ”性別” ”家族” ”仕事” ”役職” ”趣味” ”特技” ”好きなもの” ”嫌いなもの” ・・・・・・etc.
挙げればきっとキリがない。
でもこれって実はいつでも変化する「ラベル」で、場所や時代によって貼ったり剥がしたりできてしまう。
名前は難しいかもしれないけど、現状結婚や養子になれば変わるし、名前も事情によっては変えることができる。
年齢は戻ることはできないものの、毎年変わる。
性格なんて、子供の時と全く一緒のところもあれば、そうでないところもたくさんだろうし、
性別なんて曖昧になってきてる気がする。
彼女にはない ”過去の記憶” もわたしたちにとっては主観的に捉えることしか出来ない曖昧なもの。
事実かどうかですら記憶が風化していくから怪しい。
そんな不安定な「ラベル」を ”絶対の私” として信用してもいいんだろうか。
そんな不安定な「ラベル」の言いなりになっていないだろうか。
例えば「ラベル」をすべて剥がしたら、 ”私” って言えるのだろうか。
”絶対の私” って一体なんだろう。欲しがるのもなんでだろう。
”絶対の私” はどんな安心や幸せを得られるんだろう。
コーヒー片手に疑問を口にする。あなたはどう感じるだろうか。