わたしがヨガと出会い、続けている理由。

なぜ、ヨガを続けているのか。

わたしがどんな価値観でモノを見て、どんなタイミングでヨガと出会い、どうしてヨガを続けているのか。

詳しいプロフィールとして、記しました。

いつもよりだいぶ長くなりますので、ゆっくりできる時にどうぞ。

人前に立つことが好きで、一緒に楽しいことをつくるのが好き⁡

これがわたしの基礎。

幼い頃から人に呼び掛けて楽しいことを共有することが大好きだった。

楽しいことはさまざまだったけど、創作するのが好きだった。⁡

モノを作ったり、ゲームを作ったり、歌ったり、絵を描いたり、本を読んでなりきったり、⁡

だから将来の夢は表現する仕事 ……いま思えば、その括りになるんだろうと思う。⁡⁡

⁡目立つことは嫌われること。それから、目の上のたんこぶになること

中学生ぐらいになると、男女一緒に仲良く遊ぶことは恥ずかしいことだと暗黙の圧力がかかり出す。

男は男、女は女。小さなグループを作ってそれぞれ親交を深めていく。

それがわたしの周りの「あたりまえ」で、疑問に持つ人はいなかった。

学校のイベント行事が「楽しいこと」だと思っていたわたしは、積極的に参加をした。

男女関係なく接してきた。

それらは一部の人から目障りになり、いじめに発展していく。

そんな一部の人は無視すれば良かった話かもしれない。

でも、わたしにとって、⁡⁡人と一緒に楽しいことをつくれなくなる⁡⁡は、生きる意味が無いと思えるほどだった。

ここから人の顔色を伺うようになる生き方をはじめる。

⁡楽しいことは諦めきれず、お芝居の道へ進む

⁡⁡歌も、絵も、そこそこ独学で学んでいたが、人の顔色を伺うようになってから人と比較をしはじめてしまい、

なかなか一緒に楽しいをつくろうという気持ちに進めない。⁡

それなら、一緒につくることが好きな人の輪に入れば良い。⁡

単純な考えで、お芝居が学べる場所に進む。

⁡嬉しいことに、⁡人前に立つことが好きな人達と、一緒に楽しいをつくりあげる人達⁡の集まりに入ることができた。

中高生で自分自身を締め付けていた人の顔色を伺う生き方は少しずつ解けていくように見えた。⁡

お金が無いから社会人になることを選択すると、絶望することになる。⁡

会社の歯車の一部は、異色を排除しようとする⁡

⁡⁡自分の考えと近しい会社に入ったつもりだった。

どうしてこんなことをしなくちゃいけないのか、理解ができずもっと楽しいことを提案しようとしたが否定
(たぶん、それぞれが異色なことをしはじめると統率が取れなくなり、稼ぐことがうまくいかなくなるからかなと今では思う)⁡

ここから存在を否定されはじめると人の顔色を伺う殻にこもることになる。

⁡苦しいけど会社でお金を稼ぐ。

稼いだお金は楽しいことをするために使う。

お芝居に関われるように使い続けた。

人の顔色を伺う生き方は、残念ながらとても根深く今も引きずり続けることになる。

⁡本番5日前に降板を言い渡される

⁡⁡二足のわらじで販売のアルバイトと役者を続けていたが、人の顔色を伺っていれば一緒に楽しいものはつくれない。

この時は一生懸命だったから気付かなかったけれども、理由はたぶんソレ。⁡

とても優しい先輩が気にしてくれたけども、信頼を寄せていた人達は一切わたしと連絡をとろうとはしなかった。
(「もしかしたら今度は自分かもしれない」っていう恐怖でわたしに連絡できなかっただけかもしれないけども)⁡⁡

⁡立ち直れないわたしがたまたま出会ったもの

一緒に楽しいことをつくる

それが叶うのはお芝居だと思ってたから、芝居ができなくなってから生きた心地のしない日々が続いてた。

それでも褒めるべき点は、わたしのタフさ。

お金がないという理由でちゃんと販売のアルバイトをしていたことは偉い。

ただ、裏を返せばお芝居に人生をかけてなかったのか…と、

ちゃんと人並みに働くことが出来ている事に対しても、絶望していた。

会社で働くことだけでは生きる意味を見出せなかったから、何か新しいことをやりたかった。⁡

理由はたったそれだけだった。

⁡木曜週に1回。夜の20時から。近くの小さなお寺でヨガを知った。

⁡寝ぼけたような「この場」に還って(もどって)いくようなまだかえりたくなくて、
ぼんやりとまどろんでいるようなわたしという存在が
まるで世界とどろりと溶けてしまうようなそんな感覚
なんて心地のいいものか

⁡⁡それまで、運動というものが嫌い(ドンクサイって幼いころから言われ続けた)だったので衝撃的だったのもあったけれども。

ヨガは運動じゃないことを知った。

たった60分間、簡単だけど変なポーズと仰向けになって寝ることで、その後の自分が格段に良くなった。

心も、身体も、うじうじしていた思考も、いい意味でどうでもよくなる。

⁡上記のようにヨガを終えた後のスッキリ感をどっぷり浸かる時もあれば、全く何もない時もあり、それはどうしてだろうと気になり始めてから学び出した。⁡

個人で行なっている小さなスタジオからスタジオヨギーのように大きいところまで。⁡

自分の求めるシャバーサナが経験できる場所を探し続けた。⁡⁡

それから、WaveYogaStudioでヨガや身体の基礎を学び、nidaでセルフケアと自己探究の楽しさを知り

⁡気が付いたら、ヨガで学んだことを伝えたくてヨガを続けている。⁡

人の顔色を伺う生き方はなかなか根深いけれども、以前よりもちゃんと折り合いがつけられるようになってる。⁡⁡⁡

心を落ち着かせて、自分と向き合う時間なんて嫌いな人が多いんじゃないかなって思うときが多々ある。⁡

わたしだって、人の顔色を伺って生き続けているなんて知りたくなかったし、考えたくない。⁡

向き合うなんてシンドイ、苦しい。⁡

だから自分を忙しくする。

考えたくないから。

簡単に自分を忙しくできるツールはものすごく世の中に増えた。

スマホはわたしにとって簡単に自分を忙しくできるツールだ。
(ゲーム、Twitter、動画、漫画なんでもできる)⁡⁡

そのツールを使えば、そのひとときは楽しいかもしれない。

使えば使うほど、自分と向き合う時間は後回しになる。気がついた時にはもう向き合える気力も無い。

流れゆく時間がただ、消耗…消費されていく虚しさを感じてはいないだろうか。

あるいは、ずっと満たされない。永遠に続く欲望の渇き。それがずっとわたしはつらかった。

ヨガというツールは、自分と向き合う時間を嫌がる自分を無理なく落ち着かせてくれるツールだ。

はじめは向き合えないかもしれない。

向き合えなくても、身体を動かせば体力がつく。

体力がつくと少しずつ自分に余裕が見えてくる。

余裕が見えてくるといつのまにか自分と向き合えるようになってくる。

もちろん、周りも見えるようになってくる。⁡

余裕が自分でつくれるようになる人が増えれば、世の中に楽しいことを生み出す人が増えるんじゃないか。⁡

それは、わたしが求めている世界なんじゃないか。⁡

それなら……間違ってるかもしれないけど、伝えてみよう。

⁡自分と向き合うことが、大切なことだと。

余裕をつくることが大事なことだと。

ひとりだと難しいから、一緒に向き合ったり、余裕をつくることをしてみませんか。
ということを。

⁡⁡だからわたしはヨガ学んでいます。伝えています。

わたしの経験があなたのどこかで役に立つことを願って、ヨガを続けています。

最後までありがとうございました。

om.

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

記事をシェアできます
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次