なんでわたしばっかり・・・
なんでわたしばっかり・・・ と感じてしまうんだろう。
たとえば、
あの子は定時で帰ってるのにわたしは仕事を追加される。
いつだって、家事は自分。たまに手伝ったことを自慢される。
断れない。言えない。
毎日、なんだか心も身体も重い気がする・・・
それから・・・些細なことが苦しくなって、はち切れそう。
なんでわたしばっかり・・・
とはいえ、普段生活するには問題ないからそのまま日常を過ごす。
でもやっぱり、もやもやするから相談してみる。「なんだそんなことか」と、適当に流されてしまう。
もしくは「そうだね、そうだね。わかるー」と同感される。・・・のもなんかちょっと違う。
もやもやが晴れるような本を買ってみたけれど、やっぱりなんかちょっと違う。
なんでわたしばっかり・・・って、思ってしまうんだろう。
わたしばっかり・・・って、思っていることって、
誰でも出来ることなのに
わたしが わざわざ やらなきゃいけない なんで?
という怒りの矛先が向いているからだとわたしは思う。
その怒りの矛先が向き続ける限り、自分への負荷がかかり続ける。
それは、有限な自分の時間を怒りで削り続けている。
わたしが目指している生きかたは ” 真善美 ”
具体的に言うと、
無駄がなく、汚れていない、それから力んでいない。浮遊している。
物事が自然と詰まることなく流れていく状態の事を指します。
怒りって、物事がとっても詰まってしまうできごとですね。
だから、まず、気づく。あ、またなんで自分ばっかり・・・って思っている。
それから、なんで自分ばっかり・・・って思うんだろう・・・と思考する。
答えが出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。
答えが出てくることだけが正解じゃない。保留だっていいんだ。それだけは知って欲しい。
思考で落ち着ければそのままでいいし、もやもやでいっぱいで困るなら、ヨガの登場です。
ヨガは、あなたの感情がぐるぐる回るのを自然と落ち着けてくれる優しいツールです。
副産物として、柔軟が高まったり、体力がついたり、筋力がついたり・・・はありますけど、
どちらかと言えば、振り回しているものを落ち着かせてくれるツールだとわたしは感じています。
身体が固いから、恥ずかしいから・・・意識高い人ばかりだから・・・で遠ざけてしまうのはもったいない。
少なくとも、わたしが学んできたヨガは感情と自分を引き剥がす良いツールと思って続けています。
ただ、それからまたしばらくしたら、なんで自分ばっかり・・・に出会うかもしれない。
その時は、また気づく、思考する、ヨガをする。
あなたのペースで必ず、あなたの答えがやってくる。
安心して経験しよう。