毎日マンネリ化している気がする。
お祭りも、季節のイベントもなんだか楽しいと思えなくなってきた。
わくわくしたのって、いつだっけ?
どきどき、わくわく。
そんなことばかりがいっぱいだった子供時代。
やること、見ること新鮮なものばかりで寝るまで全力で動き続けている。
小さなお子さんがいる方は間近でよくよくその光景を見ているのではないでしょうか?
一方、自分はと言うと、
仕事や家事に追われて、今日のやることリストを淡々にこなしていくだけ。
全部こなすことができればまだ良いが、急なトラブルが発生したりして終わらなくて残業・・・
毎日がやることリストのTODO消化ばかり。
自分が楽しい!と思ってやっていたこともなんだか義務感が発生してきて純粋に楽しめない・・・
わくわくしたのって、いつだっけ?
退屈だけど働いたり、多忙で追われている人に、この本を贈りたいです。
川柳って、もっとかしこまって難しいものだと思って触れてこなかったのが正直。
サラリーマン川柳って聞いたことあるけど、邪道じゃないの?
自分の先入観にとらわれて見ないのはもったいない気がすると思って手に取りました。
ひとつひとつの言葉を噛みしめながら、余白を楽しむ。
それから、自分にとってどんな言葉が刺さったのかをピックアップしてみる方法がいい。
例えば、わたしはこれが引っかかってしかたないので引用します。
はじめてがいまだひそんでいるからだ
なかはられいこ(2022). 『くちびるにウエハース』 株式会社 講談社 (29)
くすぐると葉ずれの音がしますから
(せり、なずな)だれか呼ぶ声(ほとけのざ)
もうすんだことと春になったこと
らいねんの桜のことでけんかする
目覚めると川の匂いのするからだ
わたくしは拾ったものでできている
そう、これ。あたりまえのことをじっくり考えることができてない自分に刺さっている。
子供の頃、あれだけ世の中が刺激的に見えた。
たくさんのものを拾っては捨てて価値観を育てていった。
どきどき、わくわくに毎日が輝いていたのは、もっと吸収したいという欲求なんだと思う。
それがいまより深く「自分」というわけのわからない存在と向き合っている。
自分という存在は一体どんなものを拾ってできているんだろう。
身近にいた親の価値観はたくさん拾っているだろう。
成長すればコミュニティも増えるから、学生、友人、趣味、仕事仲間・・・自分の周りの近い存在たちの価値観。
住んでる場所によってルールがあるだろうから、それも価値観になる。
街に住んでいれば街に、海近くなら海に、山なら山に。それぞれのルールを無意識に拾ってあたりまえにしている。
動物が近くにいれば動物の影響もたくさん。
あたりまえすぎて気が付かないけど、自分にとって悪い影響も必ずある。
でも自分で拾ってつくっているんだから、捨てることもできる。捨てた分は、また新しいものを拾うことができますね。
あなたはなにを拾ってきましたか。
あなたはなにを捨てたいですか。
どんなことをまた拾いたいですか。
この問いがあなたにとって素敵なものとなりますように。
また、あなたにとっての真善美な日々が過ごせますように。