あたりまえに存在するものに目を向けてみる。
あたりまえにあるものにどれだけ感謝してるだろう。
著者:チャールズ・M・シュルツ
訳者:谷川俊太郎
監修者:枡野俊明
今日はできたら日の当たる心地よい場所で、
すいすいと読んで頂ければ幸いです。
チャールズ・M・シュルツ,谷川俊太郎,枡野俊明(2021). 『心をととのえるスヌーピー 悩みが消えていく禅の言葉』 株式会社 光文社 (120) 禅一部抜粋
日照昼 月照夜 にっしょうちゅう げっしょうちゅう
その名の通り「日は昼を照らし、月は夜を照らす」こと。
起きたり、寝たり。
日のサイクルに合わせて活動している。
その恩恵をしっかりいただいた身体も、あたりまえに存在し続けている。
いま、存在し続けているのは自覚が全くないけど身体のシステムのお陰だ。
なんにもしてなくても、呼吸する
なんにもしてなくても、消化する
思考はすぐにあっちこっち行くし
あれだけ覚えていた記憶もだんだん薄れていく
だから思い出したときに愛を込めないと、あたりまえすぎてすっかり忘れてしまう。
太陽や月は惜しみなく降り注ぐ。
わたしたちの身体も惜しみなく働き続けている。
多少の変化をしながら、差異の少ないあたりまえを日々つくり続けている。
それに、どれだけ感謝してるだろう。
今日で東日本大震災が11年経つそう。
当時は印象が強すぎて苦しかったのに、いつのまにか落ち着いてニュースが読めるようになった。
今ある生活がいつもずーっと続くこと。
それは難しいことなんじゃないかと、いまは
より強く感じるようになってる。
変化してしまうのは仕方ない。
その変化とどう付き合っていくかが大切なんだと思う。
今日1日だけでもいいから、
あたりまえに存在しているものに感謝をしてみよう。
太陽の光をたっぷり浴びてボーッと感じること。
月の光をじっと眺めて美しさを感じること。
少なくとも、太陽をのんびり浴びる気力すらなくなってしまうわたしには必要な時間だ。
あなたにはどうだろう。
身体はうまく休ませているだろうか。
あたりまえのようにやってくる明日に感謝してるだろうか。
心地よく降り注ぐ日の光を浴びながら、
今日もよく過ごせますように。