TOIYOGAが定義する真善美とは、
無駄がなく、汚れていない、それから力んでいない。どこか浮遊している。
物事が自然と詰まることなく流れていく状態の事を指します。
人間が生きる上で、最高な状態ってどんな状態だろう。
あなたは考えたことあるでしょうか。
お金がたくさんあること? 健康であること? 自由に時間を使えること? 誰にでも優しくできること?
たぶん挙げたらキリがないほど、出てくるんじゃないでしょうか。
役者を目指していた25歳のわたしは ”特定の人から認められること” が、最高な状態だと信じて疑いませんでした。
ある特定の他人の目が、わたしにとって ”正解” だったのです。
役者として、成果が出ない。売れない。食べていけない。演出家も同じ役者もスタッフもお客様もわたしを認めてくれない。
本番1週間前に降板を言い渡され、終電が終わった真夜中。世田谷から池袋まで徒歩で帰りました。
役者として認められない、必要とされないなら、生きてる意味はないんじゃないか。
そんな思考を振り払うようにアルバイトに明け暮れてました。
そこから、わたしの自己探求ははじまりました。なぜ、生きるんだろう。なぜ、生き続けているんだろう。
ぎゅうっと凝り固まった思考や身体をほぐしたくて、ヨガを試しました。
わからないなりに身体を動かして、最後に仰向けに。
はじめて出会ったシャバーサナは眠りではなく 浮遊する時間 でした。
人間が生きる上で、最高な状態とは 浮遊する時間 をどんな時でも過ごせることじゃないだろうか。
無駄がなく、汚れていない、それから力んでいない。どこか浮遊している。
物事が自然と詰まることなく流れていく状態。
そんな状態のことをわたしは 真善美 と呼ぶことにしました。
真善美 を広辞苑で引くと、
認識上の真と、倫理上の善と、美学上の美。
人間の理想として目指すべき普遍妥当な価値。
これに完全性としての聖を加えることもある。
と記載されていて、
つまり、
「真」うそ、偽りがないこと
「善」道徳的に正しいこと
「美」調和していること
これをすべて合わせると真善美になり、人間が生きる上で最高な状態になる。
時代は刻々と変化を続けていて、いまこの瞬間も ”あたりまえ” は変わっている。
変化に流されない自分軸はもってるだろうか。誰かの視線を常に感じてしまい自分を見失っていないだろうか。
真善美な生きかたは、変化していく時代に流され自分を見失うことを減らしてくれます。
あなたの 真善美 を一緒に探してみましょう。